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1999年 2月 22日 [ イベント ]

No.031-1:はだかの男が幸せを呼ぶ「酒とり祭り」


■五穀豊穰と家内安全を祈願して
 富山県小矢部市下後丞(しもごぜ)の神明宮では、4月11日に白鉢巻きに褌(ふんどし)ひとつの厄男たちが境内を走り回り、柄杓の御神酒を見物人に強引に飲ませる「酒とり祭り」が行われる。
 祭りはお祓い、祝詞(のりと)などの神事が行われ、獅子舞が奉納された後境内に鳴り響く太鼓を合図に、大鳥居の下で待ち構える厄男たちが歓声をあげながら拝殿に殺到する。厄男たちは押し合いながら、お神酒を柄杓に受け取るや、再び争って引き返し、見物人に誰かれの区別なく飲ませて回る。これを繰り返すうちに用意された日本酒1斗5升は底をつき、祭りは太鼓の合図とともに終わりをむかえる。
 酒を取りに行く回数の多いほど幸せになれるといわれるため、男たちは見物人に少しだけ酒を飲ませたところで、残りの酒をあたり一面にばらまき、またすぐに酒を取りに行くのだ。見物人も酒を多く飲んだ者ほど、無病息災で幸が多いといわれる。

■酒をまく祭り
 祭りの起源は寛永年間(1624〜1643)。神明宮の社殿を建立するために土を掘り起こしたところ、人骨が出土したが供養もしなかった。その後、村に凶作が続いたことから、境内を浄めようと酒をまいたのが始まりとされる。以来、五穀豊穰と家内安全を祈願して行われている。
 ただ、明治2年には、「酒をまくのはもったいない。まかずにみんなで飲もう」ということになり、酒をまかずに全て飲んでしまったこともあるとか。すると、村に火災が発生したり、農作物が不作になるなど災いの多い年になり、次の年からまた境内に酒をまくようにしたといわれる。

■秋には勇壮な太鼓を奉納
 9月10日の下後丞地区の秋祭りには、五穀豊穰を祈願して神明宮に勇壮な越中源氏太鼓が奉納される。白鉢巻きに法被姿の若者が、身振り手振り面白く大太鼓を打ち鳴らすもので、倶利迦羅峠(砺波山)で木曽義仲と平維盛(これもり)が戦った源平の合戦に由来する。木曽軍の蟹谷(かんだ)次郎が勝利を祝って酒宴をしたとき、部下の武士たちが歓喜しながら太鼓を打ったのが始まりとされる。その後、蟹谷氏は下後丞地区に残って開墾に従事するとともに、越中源氏太鼓として村に伝えられてきたといわれる。

問い合わせ
●小矢部市商工振興課
〒932-8611 小矢部市本町1番1号
0766-67-1760(代)

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