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2001年 1月 29日 [ トピックス ]

No.072-2:日本が生んだ幻の名機「フィルモン蓄音機」。ヴォイス・ミュージュアムに収蔵!


富山県小矢部市にある音と映像の博物館「ヴォイス・ミュージアム」。その収蔵品に、「フィルモン蓄音機」が加わった。世界に残る蓄音機の中で最も高性能といわれるこの蓄音機。昭和12年から15年にかけて日本フィルモン社が製造していたもの。フィルモン音帯と呼ばれる長さ13mのベルト(音帯)を回すことで音楽が流れる仕組みだ。上部にはSPレコードプレイヤーも付いており、懐かしい深みのある音で音楽が楽しめる。

平成元年にオープンしたヴォイス・ミュージアムは、小矢部市にある唯一の民間博物館。蓄音機や映写機など3000点が収蔵されている。もともとは、養鶏を営んでいた藤原さんが個人でコレクションしていたもので、建物も敷地内の古い家をそのまま利用している。藤原さんと蓄音機との出会いは25年前のこと。明治41年に製造された初代蓄音機にすっかり魅せられてしまい、以来、数少なくなった貴重な“良き時代の音”を探し続けている。
蓄音機が全盛を迎えていたのは昭和のはじめ頃。当時、蓄音機の価格は980円。家一軒が建つほどの高価なもので、所有するものは富豪や上流階級の人に限られていた。ラジオも珍しい時代、一般の人は蓄音機やラジオを持つ人の家に集まって、流れてくる音楽に耳を傾けたという。「昭和は暗い時代だったという人もいるけれど、けしてそう暗くはなかった。いい映画、いい歌があった。作り手は誠心誠意を込めて作品を作り、そして守った。そうして作られた音楽や映画には、血と涙がつまっていたんです。観る人も真剣に聴いた。そうして名作が作られていった」と館長の藤原さんは話す。人々のささやかな喜びであった音楽も、軍国主義が台頭する中“贅沢品”とされ、各レコード会社は蓄音機の製造を中止。戦後、記録音楽はSPからLPレコード、ステレオの時代に移り変わり、蓄音機も高度成長の影にその姿を消していった。藤原さんが蓄音機を実際に動かしてくれた。流れてきたのは“テネシー・ワルツ”。パティー・ページュの深みのある歌声が、甘い郷愁を漂わせて心に染み渡る。「昔はいいものがたくさんあった」。藤原さんの言葉がふと蘇る。このミュージアムは、IT化時代に生きる私達が置き忘れそうになっている何かを感じさせてくれる場所だ。

問い合わせ
●音と映像の博物館 ヴォイス・ミュージアム
住所 小矢部市下中137
TEL 0766-67-1808
●エコーホール
TEL:0766-68-3567
交通案内
JR北陸本線*石動駅より車で10分
北陸自動車道*小矢部I.Cより車で約15分・砺波I.Cより車で約15分
能越自動車道*小矢部東I.Cより車で約3分
      *福岡I.Cより車で約5分

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