トピックス

アーカイブ

1998年 9月 10日 [ トピックス ]

No.023-3:日本海側最大の前方後方墳を発見!


■「柳田布尾山古墳」(仮称)の概要
 富山県氷見市柳田地区にある標高30mの丘陵頂部で、全長107mと、日本海側最大規模の前方後方墳「柳田布尾山古墳(やないだぬのおやまこふん)」が発見された。富山考古学会員の西井龍儀氏(小矢部市、会社役員)が、氷見市史編纂のために遺跡を調査していて見つけたもの。これまで日本海側の前方後方墳で最大だった島根県松江市の山代二子塚古墳(全長92m)を上回る規模で、全国でも10番目の大きさである。また、前方後円墳を含めた古墳全体のなかでも、能登以北の日本海側において最大の規模を誇る。しかも、墳丘の形が極めて良好に残されており、当時の古墳造成技術を研究するうえでも貴重なものとされる。
 前方後方墳は、古墳を形成する前部と後部の両方が方形をしており、古墳時代前期(4世紀)に集中的に造成されたもの。全長100mを超える「柳田布尾山古墳」の存在を全く知なかったのは、あまりに大きすぎて、山のようにしか見えなかったことと、地元住民の間に古墳にまつわる伝承が残っていなかったことが、理由として上げられている。

<古墳の規模>
 ・全長107m
 ・前方部は、長さ51m、幅47m、高さ6m
 ・後方部は、長さ56m、幅55m、高さ9m
 ・前方部と後方部が接する‘くびれ部’の幅が27m ・西側に幅10m、深さ1.5mの空堀り(周濠)も一部発見されている

■古墳発見の反響
 「柳田布尾山古墳」の発見によって、この地に日本海交易を掌握していた強大な権力者がいたことが明らかになった。その結果、日本海側の文化、経済の中心地の一つとして、栄えていたことが推定される。この背景として、立命館大学の和田晴吾教授(考古学)は、「潟のある場所に豊かな遺跡が残されている場合が多く、十二町潟(※1)という天然の良港を持っていたことが大きい」と分析している。
 また、富山大学人文学部の宇野隆夫教授も「氷見市は越中と能登を結ぶ水陸交通のかなめに位置している。葬られている人は日本海域の経済(交通、交易)を握っていたものと思われ、古墳の形から判断すると、中央から派遣された人間ではなく、土着の人物であったことが想像できる。今後調査が進めば、被葬者の性格や勢力など、新たなことが分かる可能性がある」と期待を寄せている。

■今後の展開
’日本海側最大の前方後方墳発見’のニュースに、一般の人々の関心も高く、氷見市では本年度内に現地説明会の開催を予定している。現在は、古墳内には立入禁止措置がとられており、調査や保存の方法が固まるまでは、現状のままにしておく方針である。今後、富山県と氷見市では、保存等検討委員会を設置し、今年度中に保存と活用のための調査を始める予定にしている。

http://www.pref.toyama.jp/sections/3007/mb/yanaida-1.htm

(※1)十二町潟は、能登半島付け根にある氷見市の海岸部に位置し、古代には内陸部に入り組んだ複雑な地形から、自然の良港だったと推定される。万葉の歌人・大伴家持も天平18年(746)に越中に赴任した折、十二町潟で舟遊びをして歌を詠んでいる。今では干拓によって水田となり、わずかに形をとどめるだけとなっている。国の天然記念物のオニバス、イタセンパラの生存も確認されている。またイタセンパラは国内稀少野性動植物として指定されている。

●氷見市生涯学習課
〒935-8686 氷見市丸ノ内の1
TEL 0766-74-8215

コメント

その他のトピックス

ページの先頭へもどる↑