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2004年 11月 17日 [ イベント ]
No.170-2:立山カルデラ砂防博物館・企画展「ハーンとローエル」
●二人の足跡、富山との関わりを
ラフカディオ・ハーン没後100年を記念して、立山カルデラ砂防博物館で「ハーンとローエル」と題した企画展が始まった。12月5日(日)まで。
ハーンと富山とのゆかりは、富山大学附属図書館に収められている約2,400冊に及ぶハーンの全蔵書「ヘルン文庫」。これは、大正時代、旧制富山高等学校の創設者である馬場はる氏が、同校開校の祝いとして寄贈したもの。ハーン自身は富山を直接訪れたことはないが、初代校長・南日恒太郎氏の弟、田辺隆次氏がハーンの没後にハーン夫人節子から蔵書について相談を受けたことが縁となり、南日の「富山を文化の中心地にしたい」という願いから、馬場はる氏の寄付で購入が実現した。富山では近年、富山八雲会が結成されるなど、ハーンへの関心が高まっている。
一方、パーシバル・ローエルは、火星の研究や冥王星の存在を予見したことで知られる米国の天文学者である。彼は、明治17年と明治22年に来日している。明治22年(1889)5月には上野から軽井沢、糸魚川などを経由して富山に入り、能登へ出た後に再び富山に立ち寄った。そこで立山に憧れ、針ノ木峠越えを思い立ち立山カルデラへ向かったものの、結局積雪などのために断念し、芦峅の宿坊・宝泉坊に宿泊している。この旅で撮影された写真(立山温泉の最も古い写真など)は、明治期の立山カルデラを語る上でも貴重な記録となっている。
実は、ハーンの来日を決定づけたのが、ローエルの著作である『極東の魂』。ハーンはこの本に心を揺さぶられ、まだ見ぬ国「日本」への憧れを強くした。またローエルが明治22年の旅行のことを綴った『能登』を、“この旅のあらゆる喜びと困惑、危険を感じながら”愛読したという。企画展では、この二人の著書や書簡、写真、年譜などを通し、その足跡や富山との関わりなどについて紹介する。二人の日本人観の違いなどが紹介されているのも興味深い。
●知られざる、もうひとつの立山へ
立山カルデラとは、常願寺川の源流部に広がる東西約6.5km、南北約4.5kmの楕円形の凹地だ。安政5年(1858)4月9日、跡津川断層の活動によってマグニチュード7.1の直下型地震・飛越地震(安政の大地震)が起こり、立山カルデラ内の大鳶(とんび)山、小鳶山が大崩壊。4月23日と6月7日に大規模な土石流が発生し、常願寺川下流域に大きな被害をもたらした。現在もカルデラ内には大量の土砂が残り、すべてが流れ出した場合、富山平野全体が厚さ約2mの土砂で覆われるとされ、現在も砂防工事が続けられている。
立山カルデラ砂防博物館は、この立山カルデラの大自然の営みと砂防に焦点をあてた世界的にも珍しい博物館で、屋内ゾーン(常設展示・大型映像)と野外ゾーン(立山カルデラほか)で構成されている。屋内の立山カルデラ展示室では、直径12m、1階〜3階まで吹き抜けのドーム型ジオラマを設置。また立体メガネをかけて見る「歩こう常願寺川(立体視マップ)」、安政5年の地震をアニメーションで再現した「安政の大災害シアター」などもユニークな展示だ。 SABO展示室では、立山砂防工事専用軌道の実写映像を楽しみながら仮想体験ができる。108mと落差日本一を誇る白岩砂防ダムの縮尺模型なども必見だ。
問い合わせ
●立山カルデラ砂防博物館
TEL.076-481-1160
FAX.076-482-9100
http://www.tatecal.or.jp/w_haku_f.htm
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