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2014年 7月 16日 [ イベント ]

No.666:夏休み、親子で富山の美術館めぐりへ!

富山県水墨美術館では「上村松篁展」を開催中。格調高い花鳥画を生涯描き続けた松篁の全容を回顧する展覧会<8月10日(日)まで>。県立近代美術館では「成田亨 美術/特撮/怪獣 ウルトラマン創造の原点」が7月19日(土)に開幕する<8月31日(日)まで>。幅広い世代に親しまれているウルトラマンや怪獣のデザイン原画をぜひ見に行こう。なお、高志の国文学館の企画展「風の盆-深奥の心をさぐる」<7月26日(土)~10月6日(月)>も楽しみにしてほしい。

●品があって、香り高い花鳥画を


▲上村松篁「燦雨」(さんう)
(1972年、松伯美術館蔵)(左)
▲成田 亨「メバ」
(1983年、個人蔵(c)成田流里)(中央)
▲「ヒューマン2号」
(1972年頃、個人蔵(c)成田流里)(右)

 明治35年(1902年)、美人画で知られる上村松園(うえむらしょうえん)の長男として京都に生まれた松篁(しょうこう、1902~2001年)は、徹底した写実に根ざした作品を描き続けた日本画家。「上村松篁展」では、初期から晩年の作品まで約40点を年代順に展示し、花鳥のみならず、人間や動物に関心を広げ、画業を深めていった過程を紹介する。

 松篁は13歳のときに京都市立美術工芸学校に入学。さらに市立絵画専門学校に進み、竹内栖鳳(せいほう)の流れをくむ西山翠嶂(すいしょう)に師事した。在学中に帝展に初入選を果たし、卓越した画才をみせる。戦前、官展系展覧会を中心に活躍したが、戦後まもなく、官展の後継である日展を脱退。吉岡堅二、山本丘人ら中堅の日本画家とともに『創造美術』を結成する。伝統的な円山・四条派の写生を活かしながら、近代的な構成を持つ新しい花鳥画として蘇らせた作品を生み出す。昭和58年(1983年)に文化功労者となり、翌年には、母・松園に続いて、文化勲章を受章。平成13年(2001年)、惜しまれつつその生涯を閉じた。


▲左から「八仙花」
(1950年、松伯美術館蔵)、
「朝」
(1953年、東京国立近代美術館蔵)、
「竹鶴」
(1974年、福岡市美術館蔵)、
「杜若」
(1978年、神奈川県立近代美術館蔵)、
「蓮」
(1981年、松伯美術館蔵)

 展示作品をいくつか紹介しよう。「金魚」(1923年頃)は、金魚に対する松篁の愛情の深さがうかがえる作品。松篁は、幼い頃から金魚が好きで、肩が凝るほど長時間見続け、金魚の顔立ちまで見分けるほどだったという。本作では、水の中を泳ぐ金魚の表情や模様を細密に描写している。金魚一匹一匹に異なる表情があることがわかる。

 「八仙花」(はっせんか)(1950年)は暗い色調で統一された画面に、ガクアジサイの白い萼(がく)が際立っている。梅雨の雨のなかだろうか、いきいきと咲き誇る花の何気ない美しさを描き出している。

 「朝」(1953年)は、里芋の葉と茎、一羽の雉を描いた作品。繰り返された写生のなかから導かれた線が無駄を省いている。松篁は「昭和28年の夏、私は不思議な体験をした。満51歳を前にして、『自然の本体』に触れ、『自然の声』を聞くことができたのである」と語っている。

 「燦雨」(1972年)は、富山県福光町(現、南砺市)出身の日本画家・石崎光瑤から影響を受けたことを示す作品。インド孔雀が熱帯植物の間を駆け回る様子など、光瑤の作品と同じ主題、画題で描いている。17歳のとき、光瑤の作品と出会った松篁は、「いつか自分もあんな絵を描きたい」と思い続けていたと言う。燃えるような赤い花、その補色としてインド孔雀の青、金泥で激しいスコールを表現している。

 「竹鶴」(たけつる)(1974年)では、幽玄な趣を湛える、2羽の鶴を描いている。秋の夕陽の日だまりで首を曲げ、羽づくろいをする姿に漂う、生命のぬくもりと表情の素晴らしさに感動して制作したという。

 「杜若」(かきつばた)(1978年)は、横長の構図を考えた末に、花を植え替えて写生した作品。松篁は、「長い宿題の一つ。光琳の装飾的な画面とはおのずから違った趣である」と語っている。

 「蓮」(1981年)は、じっと眺めていると、水面の広がりが目に浮かんでくるような作品。「三度目の蓮である。少しは上達したようである。蓮の前でじっと眺める内に、すっと神聖な美感をつかむことが出来た」と、松篁は作品について語っている。

 県水墨美術館では、「松篁は、母・松園からの “品のある作品を描きなさい”の教えどおり、品があって香り高い芸術を花鳥画で追求し続けました。本展は、松篁の初期の作品が充実しており、日本画の伝統的な表現と現代的な感覚を融合させていった過程を観ることができます。“写生の鬼”と言われた松篁の作品には、自然への深いまなざしがあります。花鳥のなかに生命の根源を追い求めた松篁の精神にぜひ触れてほしい」と話している。

●ウルトラファン必見の展覧会


▲左から「ブランカー」
(1972年、個人蔵(c)成田流里)、
「ティーバス大尉」
(1976年、個人蔵(c)成田流里)、
「クラッシュホーン」
(1980年代、個人蔵(c)成田流里)、
「四神獣」
(1988~89年、個人蔵(c)成田流里)

 成田亨(なりたとおる、1929~2002年、青森県出身)をご存知だろうか。20世紀を代表する彫刻家、マリーノ・マリーニやジャコメッティなどの影響を受けながら、独自の半抽象彫刻の道を切り拓き、昭和37年(1962年)の公募美術展「新制作展」で新作家賞を受賞。気鋭の彫刻家として脚光を浴びた芸術家だ。その一方、武蔵野美術大学研究科在学中に映画「ゴジラ」の制作に参加したことをきっかけに特撮の世界へ。1960年代後半には初期ウルトラシリーズ(ウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブン)のヒーローや怪獣、特撮セットなどのデザインを手がけた。

 「成田亨 美術/特撮/怪獣 ウルトラマン創造の原点」は、誰も見たことがないヒーロー、怪獣を生み出した成田亨の芸術活動の全貌に迫る大回顧展。初期の絵画、彫刻作品から、初期ウルトラシリーズデザイン原画、晩年の京都・大江山の「鬼のモニュメント」彫刻(原型)に至るまでの約700点を展示する。ウルトラマンに胸躍らせた世代には要注目の展覧会と言えそうだ。

 展示作品をいくつか紹介しよう。「ヒューマン2号」(1972年頃)は、ウルトラマン、ウルトラセブンに続く、成田にとっての第3のヒーローとして誕生した。観客を前にした舞台の公開収録という異色の特撮作品だったテレビ番組「突撃! ヒューマン!!」(1972年放映)のためにデザインされた。マスクと胸部プロテクターをステンレスで作り、反射を活かすアイデアがユニーク。目は凹状になっている。ウルトラマンでは目を凸状に作ったため、中に入った演者の視界が確保できず、しぶしぶ目に穴を空けざるをえなかった。ヒューマンでは目を凹ませることで視界を確保し、デザインと演技のしやすさという現実的な問題を両立させた。

 「ブランカー」(1972年)は、「突撃! ヒューマン!!」のためにデザインされた怪獣。舞台での公開収録という制約上、成田は怪獣に様々な工夫を施した。背中に生えた2本のトゲは、吊るためのワイヤーを隠すためのもの。本展では、美術館のエントランスに黒部市在住の造形作家・清河北斗氏が制作した「ブランカー」の立体作品を展示。来場者は、作品と一緒に記念撮影もできる。

 「ティーバス大尉」(1976年)は、テレビ番組「円盤戦争バンキッド」に登場する宇宙人。成田は、金属的な円環状の頭部をもつ怪獣や宇宙人を多数デザインしており、お気に入りの形だったことがうかがえる。抽象的な形態は宇宙感を表現するためのもので、半抽象の彫刻家だったからこそ生まれたデザインとも言える。

 「メバ」(1983年)は、バルタン星人をより成田好みにグレードアップさせた怪獣。バルタン星人は人気のある怪獣だが、成田自身はあまり気に入っていなかった。ウルトラQで作ったセミ人間にハサミをつけろと指示されて、嫌々作ったからだ。それでもあれだけデザインできるのは成田の力量によるもの。名称は、メカニック・バルタンの略。中心点から放射上に広がる線は、金属の抽象彫刻(イギリスの現代彫刻家、バーバラ・ヘップワースの作品など)にヒントを得ている。

 「クラッシュホーン」(1980年代)は、特撮番組のためではなく、海洋堂(模型制作会社)からのフィギュア制作のための企画としてデザインされた怪獣。肩の後ろから角とも尾ともつかない2本の突起が出ており、下半身は描かれていない。特撮のための怪獣は着ぐるみで人が入るという制約があるが、そんな制約がないからこそできる大胆なデザイン。成田は怪獣にいろんなパーツをごてごてつけるのではなく、シンプルなかたちの変形で怪獣をデザインすることを心がけていた。それによって成田が一番重視した「意外性」を持った怪獣が生まれるのである。

 「四神獣」(1988~89年)は、晩年、神話や伝説に出てくるモンスターを丹念に調査し、描くことをライフワークとした成田ならではの作品。ウルトラ怪獣をデザインするため、「怪獣とは何か」を常に考え、古代からのモンスターをヒントにしていた。最初は西洋のモンスター、次に東洋や日本のモンスターを描き、龍や天狗、四神獣や四霊獣と続き、最終的に成田の関心は「鬼」にたどり着く。言わば未来や宇宙の怪獣から、古代神話の怪獣へと遡っていったのだ。成田にとっての怪獣は、突飛な空想から生まれるものではなく、神話や伝説のような人類が受け継いできた創造力の延長上にあるものであったため、ウルトラ怪獣も、完全な空想ではなく、どこかにいてもおかしくなさそうな奇妙な実在感を持っている。

 県立近代美術館では、「ウルトラマンの顔は京都・広隆寺の弥勒菩薩像のアルカイック・スマイル(古式微笑)、ウルトラQに登場したケムール人は、横向きの顔に前向きの体を組み合わせた古代エジプトの壁画、三面怪人のダダは阿修羅像が発想のルーツ。ウルトラ怪獣には、成田の造形感覚やシュルレアリスム、モダンアートなどのエッセンスが注ぎ込まれ、子どもはもちろん、大人も楽しめます。特撮セットを再現したジオラマも設けます。ぜひ、ファミリーでご鑑賞ください」と話している。

●越中八尾おわら風の盆の季節ももうすぐ。

 7月26日(土)に開幕する高志の国文学館の企画展「風の盆-深奥の心をさぐる」は、小杉放庵、吉井勇ら八尾を訪れた文学者・芸術家たちが残した歌詞や文章、五木寛之著『風の柩』、高橋治著『風の盆恋歌』といったおわら風の盆を題材にした戯曲、小説、漫画などを通じて、深く風土に根ざしたおわら風の盆の文学の魅力に迫る企画展となる。ご期待を。

問い合わせ
「上村松篁展」について
●富山県水墨美術館
TEL.076-431-3719
FAX.076-431-3720
http://www.pref.toyama.jp/branches/3044/3044.htm

「成田亨 美術/特撮/怪獣 ウルトラマン創造の原点」について
●富山県立近代美術館
TEL.076-421-7111
FAX.076-422-5996
http://www.pref.toyama.jp/branches/3042/3042.htm

「風の盆-深奥の心をさぐる」について
●高志の国文学館
TEL.076-431-5492
FAX.076-431-5490
http://www.koshibun.jp/

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