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2013年 7月 31日 [ トピックス ]
No.617-1:日本の山岳文化を発信、山岳集古未来館開館
●加賀藩寄進の神輿2基を展示
山岳集古未来館の建物は、緑豊かな芦峅寺(あしくらじ)の景観に配慮した土蔵造り風。1階はAゾーン「芦峅寺の歴史的背景」、Bゾーン「立山・黒部の登山史点描」で構成された展示室、2階は文献や山道具、映像フィルムなど貴重な資料を保存・整理する収蔵庫となっている。収蔵品は約8,000点で、展示替えを通して順次公開される。
Aゾーン「芦峅寺の歴史的背景」では、立山信仰を育み、伝えてきた宗教村落・芦峅寺の歴史を紹介。平安時代末期からの歴史があり、戦国から江戸時代には、佐々成政や前田利家、利長らの庇護を受け、幕藩体制下では加賀藩の重要な祈禱所として重視されたという。衆徒・社人は加賀藩から他藩での廻檀配札(かいだんはいさつ)活動を認められ、立山曼荼羅(たてやままんだら)を使った絵解きなどで立山登拝などを促した。
目を引くのは、江戸時代に加賀藩より芦峅寺に寄進された豪華な神輿2基。高さは約2mで、加賀藩の梅鉢紋がきらめく。仏の八葉蓮華(はちようれんげ)になぞらえた八角形、頂に擬宝珠(ぎぼし)を冠する形態が神仏習合時代の特徴をよく表わしているという。芦峅寺では、毎年旧暦の6月14日、15日に立山大権現祭が行われてきた。神輿は立山に豊穣と息災を祈る象徴だった。神輿の背後の壁面では、獅子舞を先頭に練り歩く様子を描いた「坂木家本 立山曼荼羅」の複写の一部を展示している。
芦峅寺の旧宿坊・宝龍坊に伝わっていた「愛染明王(あいぜんみょうおう)坐像」(江戸時代末期の作、像高22cm)は頭上の獅子冠、3つの目、6本の腕、赤い円形の日輪の中の蓮台が印象的だ。
●開館記念の展示「立山・黒部の登山史点描」
Bゾーン「立山・黒部の登山史点描」では、立山・黒部に関わる近現代登山史をテーマに、エポック的な活動記録と人物を「剱岳登頂-日本近代の象徴-」から「戦後の立山・剱-大衆化と尖鋭化-」まで8つのコーナーで紹介している。Bゾーンは適宜展示替えの予定だ。
「剱岳登頂-日本近代の象徴-」では、明治40年、陸軍参謀本部陸地測量部・柴崎芳太郎らによる剱岳初登頂、明治42年、福光出身の日本画家・石崎光瑤らの剱岳登頂をクローズアップ。光瑤が撮影した剱岳山頂の三角点標を背景にした写真(劔岳の絶巓(ぜってん))のパネルが圧巻だ。「山案内人-平蔵と長次郎-」では、立山案内人組合の初代組合長を務め、優秀な山案内人を育てた佐伯平蔵、柴崎隊と石崎隊を剱岳頂上に導いた宇治長次郎の貴重なポートレイトを見ることができる。「黒部からヒマラヤへ-堀田彌一-」では、黒部市出身で、日本初のヒマラヤ遠征登山「立教大学ナンダ・コート遠征隊」で隊長を務めた堀田彌一のスキーやスキー靴、ピッケルなどを展示。「戦後の立山・剱-大衆化と尖鋭化-」には、昭和24年、福光疎開中に立山を訪れた板画家・棟方志功が「天地合掌之所」と揮毫した立山頂上社殿部材などを展示。棟方は、「立山は天と地をつなぐ神の領域」と語り、一気に書き上げたという。
立山博物館では、「これまで展示しきれなかった貴重な資料を順次公開していきます。古い資料を集めるだけでなく、これを未来に向けて生かし、新しい山岳文化を発信していきたい。山岳集古未来館は入館無料。他の施設とともにぜひ見学ください」と話している。
なお、立山博物館は、芦峅寺地内に展示館、遙望館、まんだら遊苑などが点在する広域分散型博物館。立山曼荼羅の世界を五感で体感できる、まんだら遊苑では、8月23日(金)~25日(日)、夏の特別イベント「まんだらナイトウォーク~光りと香りのページェント~」を開催。篝火(かがりび)やオレンジ色の照明、ビャクダンの香りでおどろおどろしい世界を演出した地界(立山地獄を表現したエリア)、キャンドルやLEDライトが灯る幻想的な天界(立山浄土を表現したエリア)など、普段体験することのできない夜の空間を楽しむことができるので、ぜひ訪れてほしい。
- 問い合わせ
- ●富山県[立山博物館]
TEL.076-481-1216
FAX.076-481-1144
http://www.pref.toyama.jp/branches/3043/3043.htm