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2009年 12月 24日 [ トピックス ]
No.435-2:お正月の富山の風習、習俗を紹介!
初春を寿ぐお正月。この1年がよい年でありますようにと願う気持ちは、時代が移り変わっても変わることはない。天神信仰や鰤分け神事など、富山の暮らしや文化に深く息づく正月の風習、習俗を探ってみたい。
●正月の床の間に天神さま飾り
初春を寿ぐお正月。この1年がよい年でありますようにと願う気持ちは、時代が移り変わっても変わることはない。天神信仰や鰤分け神事など、富山の暮らしや文化に深く息づく風習、習俗を探ってみよう。
まず富山は、全国のなかでも「天神信仰」が盛んな地だ。天神信仰とは、奈良時代の菅原道真を「天神さま」としてまつる民間信仰で、富山ではお正月の床の間に天神さまの掛軸や置物を飾り、鏡もちや串柿、ミカン、昆布、お神酒を供える風習が根強く残っている。初孫が誕生した年の12月に祝いとして嫁の実家から掛軸などを贈る習わしがある。また、正月2日に天神さまの前で書き初めをすると、書が上達するともいわれている。菅原道真といえば、学問の神として、北野天満宮、太宰府天満宮を思い浮かべるが、富山では暮らしにより身近な存在となっているのだ。
「天神信仰」が富山で広まった背景には、加賀・前田氏が菅原道真の子孫であると称し、深く崇拝していたことから庶民に広まったという説や、幕末の松平春獄福井藩主が正月に天神画像を飾るよう領民に奨励し、それが富山に伝播したという説などが伝わっている。
いずれの説も真偽のほどは定かではないが、富山では、読み書き、そろばんなど子どもの教育に熱心だった売薬商人を中心に、庶民の間で学問の神、書道の神として天神信仰が広まった。富山が日本有数の教育県といわれるようになった背景にも天神信仰が影響しているのではないだろうか。
●加茂神社の正月恒例「鰤分け神事」
羽織、袴姿の読み上げ役が、丸々と太ったブリを高々と捧げ持ち、 「下村」、「倉垣小杉」とブリを献納した地区名を読み上げていく‥‥。1月1日(金・祝)午前、射水市・加茂神社では、新年慶賀祭として、「鰤分け神事」、「鰤読み神事」とよばれる全国でも珍しい神事が厳粛な雰囲気のなかで行われる。
読み上げが終わると、口紙をした料理役が鮮やかな包丁さばきでブリを三枚におろし、片身ずつ等分に切っていく。ブリを献納した加茂地区では、約230戸を数える氏子数に切り分け、鏡餅とともに各家々に配られる。ブリと鏡餅は神様からの授かりものとして、各家々では家族全員で大切にいただき、1年の無病息災を祈願する習わしになっている。900年以上前に京都から伝わったとされ、信仰心の厚さからこの地域に根付いたようだ。
●鯉に酒を飲ませて放流! 奇祭「厄払い鯉の放流」
1月7日(木)、砺波市庄川町・水記念公園では、厄年にあたる男女が鯉にお神酒を飲ませて放流する、厄年祈願大祭「厄払い鯉の放流」が行われる。江戸時代の文化13年(1816)3月26日に行われた金屋神明宮の遷宮祭に鯉を神饌として供えた際に、長時間の神事が終了してもまだ鯉が生きていたことから、この鯉の生命力にあやかり、身の厄を託し、お神酒を飲ませて放流したことが起源とされている。この日は、砺波市庄川町金屋地区内の老若男女が紋付、袴、和服姿で参加し、お神酒を飲ませた鯉に一人ひとりが手を触れて、長寿や家内安全を願いながら庄川に放流する。
庄川町商工会(庄川峡観光協同組合)では奇祭「厄払い鯉の放流」にちなんで、2008年度から「KOI恋プロジェクト」を立ち上げ、同日の第2部として「鯉の厄払い」イベントを開催している。数え年で、25歳、42歳、61歳を迎える男性、同じく数え年で33歳、61歳を迎える女性と、厄年の方であれば、県内外問わず参加できる。厄を鯉に託したい方は町商工会へ応募を。なお、厄年以外の方でも、見学は自由となっている。
問い合わせ
「鰤分け神事」について
●射水市観光・ブランド課
TEL.0766-82-1958
FAX.0766-82-8207
http://kankou.city.imizu.toyama.jp/
「厄払い鯉の放流」について
●庄川町商工会
TEL.0763-82-1155
FAX.0763-82-5341
http://www.koipro.jp/